『地獄のガールフレンド』②! 女が避けられないしんどさに、そっと寄り添うデトックスマンガ

『地獄のガールフレンド』は、20~30代の女三人がひょんなことから同居する物語。三人はもともと他人で、立場も年齢も違っていて、友達でも何でもない。それなのになのか、だからこそなのか、日頃の出来事を語り合い、自分の中にあるモヤモヤを吐き出し合い、支え合うとまではいかなくても、寄り添い合っている。私はそんな三人の関係がすごく好きで、大人はこういうセーフティネットを作るべきだよなあと、常々思っている。

もう一つ、このマンガの好きなところは、女性が避けられない苦しみや悩みにそっと寄り添ってくれるところだ。私たちの代わりに、三人がそれらを言語化してぶわっと吐き出して、デトックスしてくれるのである。

毎月ある「ひとりぼっちの鬼になる日」

2巻で一番ぐっときたのは、女性が毎月「ひとりぼっちの鬼になる日」があるという話。最初から具体的に書いてあるわけではないのに、読んでいれば何のことかピンとくる仕様になっている。

私もふいにくる、いつもならのらりくらりとかわせるようなこともかわせなくなって、脳がざわざわとしてきて、暗い靄に包まれる日。仕事も家事も全然進まなくて、ぼうっとしてしまう、生産性がない自分に泣きたくなる日。

「よくわかってる またすぐに靄が晴れて笑って進めることぐらい」

ほんっとにそう。わかってはいる。だがどうしようもない。誰に言ったってどうにもならない。皆がそうかもしれないし、そうじゃないかもしれない「ひとりぼっちの鬼になる日」……

いつもは元気におしゃべりしている三人も、ジャンクフードを爆食いしたり、元気の出る歌を熱唱したり、泣いたり、愚痴を吐いたり……そんな彼女たちを見て、「仲間がいるんだな」となんとなくほっとした気持ちになった。鬼になる日を共有することは、なかなかないから。

いいんだよね、ドカ食いしても、ぼうっとしても。30代を迎えた今は、少しずつこの日の自分を許せるようになってきている。

女の役割を越えて、何にだってなれる

女性には、世間から勝手に任されたいろんな役割がある。「お母さん」「若い女性」「妻」などの女性特有のものに加えて「30代」とか「社会人」とか、一般的なものもあって。シングルマザーの加南さんが、恋人に「だってね 私 お母さんとか 女とか仕事してる社会人だとか もう30なん才だとか 多すぎて 石原くんの前では私 どの役をしてればいいのか」と呟くシーンは、シングルマザーでも何でもない私でも「わかる」と思ってしまった。

加南さんはふだん、「お母さん」の役割を全うしている。世間からも「お母さんだから」と言われ続け、「お母さんだから恋愛しちゃいけない」と自分で思っている。でも、加南さんだって役割以前に、一人の人間なのだ。恋をしてもいいし、自分を尊重してもいいはずなのである。

これはおそらく男性にもあるのだろうけれど、職種や既婚・未婚や子どもの有無などで、なんとなく役割と「こうでなくてはならない」という像を押し付けられてしまうことがある。でもそれはあくまで勝手な「像」にすぎないということを、忘れたくない。

『地獄のガールフレンド』のおかげで、私も相当デトックスしています……ありがたいマンガ!

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襟田 あいま
食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。