『翻訳者による海外文学ブックガイド BOOK MARK』内にある星野智幸さんのエッセイ「SFって、政治小説?」にて、SF作品はたいてい政治を書いている、という話があった。
宇宙で争うような作品はいうまでもなく、管理社会だったり、破滅間近の世界だったり、自分が存在しないことになっている世界だったりと、必ずなにがしかの公の権力に個人が振り回されるパターンになっている。それは多くの場合、いま、私たちが生きている現実を、誇張したりグロテスクにしたりして反映させている。
『翻訳者による海外文学ブックガイド BOOK MARK』p.112
思えば、そうなのだ。SFを読んでいるとき、確かにファンタジーを読んでいるときとは別の感覚があった。
SFもファンタジーも、フィクションで現実にはない世界観を書いている。にもかかわらず、SFは「現実にこういうことがあったら恐ろしいな」「今の社会情勢に似ているな」と自分の身のまわりになぞらえて考えることが多くあるからだ。
『隣人X』が描く、社会的マイノリティの苦しみ
ちょうど今年に読んだパリュス綾子さんの『隣人X』は、地球外生命体「惑星難民X」に振り回される人類を描いていた。あくまで架空の存在を問う話であるものの、物語はどこか、現実とリンクしている。
キャラクターたちがSNSの嘘か本当かわからない情報に悩まされるほか、主な登場人物となる三人の女性は社会的に不安定な立場で、彼女たちの仕事や人間関係が複雑に絡み合いながら物語が進んでいく。
それはまるで、現在の日本の社会情勢によく似ていた。読んでいて他人事とは思えず苦しくなったものの、一方で物語の展開に心が救われた感覚もあった。
フィクションを通した方が、よく見えることもある
SNSなどでときどき「フィクションではなく、もっと現実に直結した本を読むべき」というような言説を見かける。ビジネス書や自己啓発書などを指しているのだろう。
気持ちはわからなくはない。私は文学好きではあるが、ビジネス書なども読むし、それらの実用性も把握しているつもりだ。
とはいえ、フィクションが現実世界で役に立たないとは全く思わない。なぜなら、重要な問題はときに、間接的な手法でしか見えないこともあるからだ。
SFで描かれる世界は現実ではない。でも、現実にあるかもしれない世界で、著者が現実の社会問題を問うていることも十分にある。私はこれからも、SFを読み続ける。物語を楽しむために。そして、現実の社会問題を考え続けるために。
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