「積読」もまた、本との接し方の一つ――『本屋になりたい』



読書家の多くが抱える「積読」。読みたい本と読める時間はなぜか反比例していく。わが家にもまだ読めていない積読がまあまああって、私はそれを見るたびにちらりとページを捲り、「ああ、だめだめ、今アレ読んでるし」と蓋をしている……

未読本が家にあっても気にしなくなった日

実は昔、家に未読本があるのが苦手だった。買ったらすぐ読むし、家にある本の内容は把握しておきたい性分だった。

でもいつからか「欲しい本の数」と「それを読むための時間」の割合が逆転して、買ったはいいけどまだ読めてないという事態が起き始めた。たぶん、院生の頃だった。それは私にとって、ちょっと苦しい現実だった。

そんな折、ある教授の部屋を訪ねることになり、室内の壁一面にある本棚と対面した。読書家の先生で、専門分野から少し外れた本もあったりして興味深かった。まじまじと見ていると先生が「ああ、そこら辺の本まだ読めてないんだよね」と本棚の一部を指して言う。「読みたいなとは思ってるんだけど」。あっさり。

目から鱗だった。読書家の先生でも、こんなに未読本を抱えることがあるのか。いや、もしかして読書家の人こそ本を溜めやすいのかもしれない。読みたい本が無数あるのに時間が圧倒的に足りないというジレンマは、本好き誰もが抱える悩みなのではないだろうか?

そう考えると焦って買った本を読もうとしていたのがばからしくなって、それ以来堂々と(?)未読本を並べるようになった。

だって未読本はいつか読む本だし。今読んでないだけだし……

そしてこれが私の、積読人生のスタートとなった。

積読には意外な効能がある

積読、という言葉がだいぶ浸透してきて、私もまたそれにあやかって堂々と積読している。ただ、「いつか読む本」という認識であるだけで、特に積読の魅力やメリットについては考えたことがなかった。

ところが宇田智子さんの『本屋になりたい』を読んでいたところ、積読の意外な効能が書かれていて驚いた。

呼んでいない本を部屋に積み上げておく、いわゆる「積ん読(つんどく)」もまた、ひとつの接しかただと思います。毎日、歯を磨きながら、掃除機をかけながら、本の山を目にしていたら、タイトルや著者の名前、本の雰囲気は体にしみこんでくるでしょう。たとえそのまま読まずに処分してしまったとしても、一緒に過ごした時間は無駄ではなかったのです。
だから、「どうせ読まないかも」とは思わずに、どんどん買って積んでおいてもいいのです。手放すときは、古本屋に売ってくださいね。

『本屋になりたい』宇田智子

なるほど、確かに呼んではいなくとも、タイトルや雰囲気はじんわりと私の中に沁み込んでいる。たまにパラパラと捲った際に出合った文章をふと思い出したりすることもあるし、きっと私の知らないところで、私の人生に影響を及ぼしているのかもしれない。

そうなってくると、積読がより良いものに思えてくる。これもまた、楽しみ方の一つなのだ。

それにしても、いつになったら「読んでも読んでも時間がある」というスーパータイムに突入してくれるんだろう? 積読は愛おしいが、読みたい気持ちはとってもあるし、積読がなくなる日が来てほしいとも思ってしまうなあ……

複雑な思いとともに、私は今日も積読を抱えて生きていく……



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