和食が食べられないのは、私にとって死活問題らしい。海外で和食難民になった思い出

食のジャンルで言うならば、和食がいちばん好き。もし食べられなくなったら、心が死ぬだろうなと感じている。一時的に和食が食べられなかったとき、はっきりと「これは死活問題だ」と脳が認識したからだ。

大学生の頃の話である。

海外で和食難民になって

大学生の頃、夏休みの1か月を使ってイギリスに語学研修に行かせてもらったことがあった。英文学オタクの私にとっては何もかもが感動的で、とても良い経験だった。

問題は、食生活。

慣れない海外生活を始めて数日は、近くのパブに行ったり、ホストファミリーとご飯を食べたりして楽しく過ごしていた。しかし、1週間を過ぎたころだっただろうか。ふと、和食が食べたいと思うようになった。

まず、スーパーでお米の入ったものを探してみる。寿司が売っていたので買ってみたら、ご飯に乗っているのはマグロではなくパプリカという衝撃。かんぴょう巻きらしきものも、具は黄色いパプリカだった。

日本のような寿司を期待していたわけではないが、これは和食ではないなとがっかりしてしまった。

次に、和食が食べられる店を探した。が、近所にはなかったのでとりあえずカレー屋に入った。カレーは美味しかったものの、ご飯はタイ米。日本のような白米にはありつけなかった。

3週間目からはもはや、禁断症状のようだった。行く街行く街で米と和食を探したが見つからず、結局1か月和食を食べられない生活となった。

そして、衝動買いした納豆巻

1か月後。禁断症状を抱えつつ帰国した私は、どうしてもお米が食べたいという欲に駆られていた。空港から何とか欲を抑えて自宅まで戻り、荷物をどかっと置いてコンビニに駆け出した。

おにぎりやお弁当が並ぶコーナーに直行し、納豆巻きをつかんでレジへ向かった。吟味している余裕などなかった。とにかく、米が食べたかったのだ。

急いで家に帰り、納豆巻きに食らいついたとき、とても幸せだった。心底米が好きだと感じた。

この話をまわりにすると「そんなに!?」と驚かれるのだが、そんなに、である。私にとって米が食べられないことは、どうやら死活問題らしい。

これを踏まえると、できれば和食が美味しく食べられる場所に住み続けたい。まあ、それ以外も美味しく食べたいという気持ちは、当然あるけれど……

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襟田 あいま
食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。