「普通に面白い」のスゴさについて考えてみる。圧倒的な文章の上手さにひれ伏すとき

2019年10月発売の『&Premium』に掲載されていた座談会にて、こんなやりとりを見かけた。

古川(耕):漱石の作品は改めて読んでみて、「文章うま!」って驚きません?

宇多丸:うん。漱石は同時代の他の作家に比べて圧倒的に読みやすい。ただ、読みやすすぎて、それがどう革命的だったのか学生の頃はわからなかった。『吾輩は猫である』なんて今読んでも普通におもしろいよね。

古川:その“普通におもしろい”がいかにすごいか。

『&Premium』2019年10月号 TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の「大人になった今だからわかる本」座談会

これを読んで心底、共感した。私もずっと思っていたのである。“普通に面白い”ってなんてスゴイことなんだ、と……今回は個人的に好きな、“普通に面白い”を追求してみたい。

「普通に面白い」とはつまり、どういうことか?

ここで言う「普通に面白い」は、“何の違和感もなくスラスラ読み進められる”とか、“ただ何気ないやりとりが描かれているだけなのに、ついつい読み入ってしまう”ことだと、私は考えている。

大スペクタクルな展開が繰り広げられるわけではなく、食事をしたり、お茶を飲んだり、誰かとしゃべったり……それだけなのに面白い、と思ってしまう。

「普通に」とつくくらいだから、上記の座談会の話の通り、本当に何がスゴイかわからないままに読み進めていってしまうこともある。文章があまりに上手く、あまりに表現が的確でわかりやすいからだ。

では、たとえばどんなものがあるのか? 個人的に好きな作家さんと私が感じた“普通に面白い”ポイントを、いくつか挙げてみる。

村上春樹作品、キャラクターたちの日常シーン

村上春樹さんの作品では、キャラクターたちが音楽を聴いたり、食事をしたり、支度をしたりといった「生活している部分」がよく描かれている。

ただ日常について綴っているだけなのに、文章がリズミカルであること、料理や服装の雰囲気が丁寧に描写されていて想像しやすいことなどから、面白く読めてしまう。

音楽や本に関しては、具体的な作品名が出てくるところもポイントかもしれない。「このキャラクターはこういう作品が好きなんだ」と親近感がわいてくるからだ。

ジェイン・オースティン作品、会話と何気ない描写

ジェイン・オースティン作品は基本的に、ヒロインがお金持ちに見初められて結婚するというオーソドックスな恋愛ストーリーを辿っている。しかしながら、個性豊かなキャラクターたちのセリフと彼らの様子を示す描写によって、唯一無二の世界観を作り出している。

キャラクターの多くは、口癖や習慣、趣味などともに語られており、会話の節々にも、彼らの価値観がさりげなく組み込まれている。一見すると何気ない会話や描写に思えるが、これがあるだけでキャラクターはより親しみやすく、興味深くなっていると感じる。

私はたいてい、このキャラクターたちのやり取りが面白くて笑ってしまう。面白いことを言っているわけではないし、本人たちは本気で話している様子なのに滑稽に映る描写や言葉選びになっているのは、スゴイとしか言いようがない。

三浦しをんさんの日常エッセイ

三浦しをんさんのエッセイはいつ読んでも笑ってしまうので、できるだけ電車やバスでは読まないようにしているほど。

どれも、ふとした日常の出来事を書いているものばかりなのだが、三浦さんの言葉選びが秀逸で、毎度吹き出す。きっと同じ出来事が自分の身に起こったとしても、こんなふうには書けないなあとしみじみ思う。

“普通に面白い”とだけ聞くと、なんだか悪口のようにも聞こえるので恐縮だが、「ひたすら何のストレスもなく、ただ“面白い”を感じられる作品」ってとんでもなく、素晴らしいもの。

何気ない日常を面白く描くなんて、誰でもできることではない。羨ましく、尊敬もあり、これからも”普通に面白い”のスゴさを語っていきたいのだった。

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襟田 あいま
食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。