奥が深いぞ「町中華」の歴史と文化!『夕陽に赤い町中華』で日本に根付いた意外な理由を知る

「町中華」ブームをひしひしと感じている。懐かしのメニューと味、昭和を感じるレトロな雰囲気……若い世代にとって逆に新鮮であることは確か。私も好きです、特に町中華飲みは最高。

……とは言っても、町中華って本当に“町に何気なくある存在”という感じ。歴史も文化も今まで全く気にしたことがなかった。それくらいに馴染んでいるものだからである。

そんな中『夕陽に赤い町中華』を読んだら、その歴史と文化の深さに感嘆。奥が深いぞ、町中華……

町中華が広がった意外な理由を知る

同書は町中華好きの著者が町中華の店主に取材し、そのルーツやメニュー開発秘話を聞いていく一冊。単に「こんなふうに店が生まれたよ」という話だけではなく、町中華自体がどうやって広まっていったのか、なぜ根づいたのか、歴史と文化を多角的に解説してくれている。

いちばん興味深かったのは、なぜ町“中華”が日本にここまで根づいたか、という話だ。さまざまな観点から語られていたのだが、きっかけとして「引揚者」の存在があるという。

台湾、朝鮮、満州などに移住し、敗戦後に日本に戻ってきた引揚者たちが、中華料理の文化を持ち込んだとする説。日本に根付いたのがなぜ和食でなく“中華”だったのかなあと不思議だったのだが、これは納得である。

また広まっていった理由として、老舗が採用した「のれん分け」制度が影響を与えている話や、敷居の低い町中華は参入しやすく、1980年代後半に脱サラや商売替えで開業する人が増えたという話も興味深かった。

それゆえ店主の経歴はさまざまで面白いといい、実際に本書に登場する方々もユニークな人が多く、経歴を読むのも楽しかった。

中華だけど、中華じゃない……メニューの不思議

町中華は、「中華」と名がつくものの中華料理の専門店ではない。むしろ、和食も洋食も食べられる何でも屋みたいな場所である。

実際、著者を含む「町中華探検隊」が“三種の神器”と呼んでいるのは、カツ丼・カレーライス・オムライスであり、全く中華じゃない……なぜなら、町中華はとにかく「安定感」を求められているからだという。

そんなに大きな期待もなく入店し、ありふれたものを頼み、スポーツ新聞片手にチャッチャと食べて店を出ることができたら十分合格点が出せるくらいのちょうど良さ。いちいち感動したりして、心を揺さぶられるようなものは日常食とは言えない。食べたそばから味を忘れるような、どうってことない感じこそ理想的だと思う。

『夕陽に赤い町中華』p.149

各メニューが生まれるまでの過程もたっぷりと紹介されていたが、個人的に印象的だったのは焼き餃子の話であった。

もともと中国で主に食べられている餃子は水餃子。焼き餃子でごはんのおかずにするのは日本独自の文化で、町中華の人気メニューとしても定着している。

この焼き餃子、なんと満州発のローカルメニューだという。満州から戻ってきて飲食店を出店した引揚者たちの中から生まれたとされているのだ。

中国ではあまり食べられていない、という話は知っていたが、まさかの満州発。日本でここまで浸透するとは、現地の人も思わなかっただろうなあ……

今ある町中華を大切にしていくこと

町中華は古く庶民的で、「冴えない」と思う人もいるかもしれない。しかし、それはやはり、長年経営しているからこそである。本書には、今残っている昭和に創業された店舗はどれも「競争に勝ち抜いたばかりの店」だと綴られていた。

客にとって町中華は日常食で、評価の基準は味だけとは限らない。立地が良い、早くて安い、量が多い、メニューが豊富、居心地が良い、マンガが揃う、店主の人柄が良い……。
これらのいくつかを満たすことで、地元住民やその近隣で働く人に繰り返し利用されてきている。常連客中心で、通りすがりの客など当てにしなくてもやっていけるのだ。

『夕陽に赤い町中華』p.237

後継者がいない、あるいは引き継ぐつもりがない店も多く、町中華はゆるやかに衰退していっているそう。でも、だからこそ今ある町中華を大切に、楽しんでいきたいと感じた。

いろいろな名店を知りたいなあと気軽に読み始めたのだが、思った以上に内容が詰まっていて、町中華のこれまでとこれからに思いを馳せ続けている今である。

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襟田 あいま
食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。