オスカー・ワイルドの劇作品「サロメ」「ウィンダミア卿夫人の扇」「まじめが肝心」。喜劇なんて意外!

偶然「ウィンダミア卿夫人の扇」を読む機会があり、初めてオスカー・ワイルドの劇作品に触れた。その後、同時収録されている「サロメ」「まじめが肝心」を読み、見事にその面白さに取りつかれた。

特に喜劇。ワイルドに喜劇作品があるなどとは、まったく知らなかったのであった……

情熱的でアイロニーが光る「サロメ」「ウィンダミア卿夫人の扇」

「サロメ」「ウィンダミア卿夫人の扇」はともに、私が持っているオスカー・ワイルドのイメージに違わぬ情熱的な作品であった。

まず「サロメ」は、世にも美しい女性・サロメの物語。義理の父・ヘロデはサロメを手中に収めようとあれこれ画策するが、彼女は父の策略をするりとすり抜ける。欲しいものは何でも手に入れてきた傍若無人なヘロデが、言葉巧みなサロメに打ち負かされる姿を見るのは、悲劇ながらすっきりする一面もあった。

そして幻想的で美しい世界観、聖書に登場する人物を舞台に仕立てた構成、情熱的なセリフの数々は、少ないながら読んできたワイルドの作品と同じ繊細な雰囲気を感じた。

一方「ウィンダミア卿夫人の扇」はロマンスあり、女の友情(?)ありの物語。

ウィンダミア卿夫人は、夫・ウィンダミア卿とアーリン夫人が噂されていると知り、二人の関係を暴こうと調査する。すると、ウィンダミア卿がアーリン夫人に莫大なお金を支払っていることが発覚。このお金のやり取りにはある理由があったのだが、そんなことなどつゆ知らずのウィンダミア夫人は、ダーリントン卿から向けられる好意に一瞬、揺らいでしまう。

それを知ったアーリン夫人が自分が悪者になり、うまく取りなしてその場を去るシーンは最高にかっこいい。アーリン夫人とウィンダミア夫人は実のところ意外な関係性があるのだが、最後はそれと別に、友情のような信頼の絆で結ばれたところが好きだった。

ウィンダミア卿夫人のセリフはじんわりと心に沁みる。

いまでは、わたくし、人間というものは、ふたつの別々な人種か生物みたいに、善人と悪人とに分けられるものとは考えませんの。善い女と呼ばれているひとでも、恐ろしいものを、捨てばちな気違いじみた気もちだとか、我意だとか、嫉妬だとか、罪だとかをもっていることもありますわ。悪女呼ばわりをされているひとだって、悲しみや、後悔、あわれみ、犠牲の念を胸中にいだいているかもしれませんもの。

「ウィンダミア卿夫人の扇」

これは『ドリアン・グレイの画像』に感じたことに近しい。善と悪は分け切ることはできず、どんな人にも複数の面がある。一つの側面にとらわれ過ぎると、肝心なことを見逃してしまう。

また、セルバンテスの人を善悪で描き切らない作風にも、共通するところがあると感じた。

結婚にまつわるコメディを描く「まじめが肝心」

「まじめが肝心」は、結婚にまつわるコメディであった。オスカー・ワイルドの作品に喜劇があったとは……意外性がありつつも、細かな構成やユニークなアイロニーには馴染みあるワイルドの作風を感じられた。

アルジャノンとジャックはそれぞれ別の女性に恋に落ちるが、その女性は二人とも「アーネスト」という名前の男性と結婚すると心に決めている。そこで彼らはアレコレ画策して、自らをアーネストと名乗り、恋人になろうと試みる。

名前に取りつかれた女性たちの会話は、滑稽でついつい笑ってしまう。ジャックの想い人・グウェンドレンは、アーネストと言う名前に「なにか絶対の信頼感を起こさせるものがありますわ」(p.233)と豪語し、ジャックと言う名前には「スリルがない」と一蹴する。

ジャックって人なら何人も知ってるけれど、みんな例外なしに、並はずれて醜男だったわ。おまけに、ジャックってのは、ジョンの悪名高き愛称よ! だから、ジョンなんて名前の男と結婚している女の人、お気の毒だわ。その人、ただの一瞬も、あの恍惚とするような孤独の喜びを味わうことはおそらく一度もできないでしょうよ。ほんとうに安全な名前といえば、たったひとつ、アーネストだけ。

「まじめが肝心」p.235

一方、アルジャーノンの想い人・セシリーも「その名前には、なにか絶対の信頼の念を起させるものがあるような気がするわ。アーネストって名前じゃない男と結婚した女の人、気の毒だと思うわ」(p.292)などと言い、アーネストと言う名前に絶対的な信頼を寄せている。

結局二人の嘘はバレてしまい、ドタバタコメディへと進んでいくが、最後はとんでもない愉快な結末が待っていて、最後まで笑ったりびっくりしたりしながら読んだ。ワイルドにこんな面白い喜劇作品があったとは驚きである。センシティブでときに激情的な物語が彼の作品の持ち味だと勝手に思い込んでいた。

個人的には、この三作の中では「まじめが肝心」が一番好きだったなあ……純粋に笑ってしまったし、アイロニーも効いていて、リズミカルな場面展開も好き。

でも、本質として言っていることはどの作品も、共通しているような気がした。人を一面だけで評価することの愚かさ(難しさ?)を重ねて訴えているように思う。

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襟田 あいま
食べること・読むことがとにかく好き。食と本にまつわる雑感を日々記録しています。