独特な視点で綴る食の偏愛エッセイ。平松洋子『ひさしぶりの海苔弁』



食を語るとき、その切り口はさまざまにある。食材や料理、飲食店などテーマも幅広くあるし、テーマを絞ったとしても、それに関する歴史や好きなところ、食べた感想など、人によって取り上げる箇所は異なるだろう。

こうして多様な語り口があることがわかりきっているのに、平松洋子さんの食にまつわるエッセイ『ひさしぶりの海苔弁』を読むと、新鮮に「その視点があったか!」と驚く。そして、それを表現するための独特な言い回しと偏愛ぶりに、感嘆してしまうのだ。

きゅうりの皮をしゅーっとむいて、えいやと齧りつく

同書の最も好きなところは、食に関する表現が非常に豊かで、ユニークであること。ふだん見慣れている食材でも、平松さんの言葉の魔法にかかれば新鮮に映る。たとえば、夏場のきゅうり。

夏場のきゅうりが美味しいことは明白だ。昔、祖父母の畑にて、採れたてのきゅうりを齧ったことがあるが、あのときの感動は忘れられない。しかし、あの美味しさと素晴らしさを表現できるかと言われれば、難しい。言葉にすると淡白になってしまうのでは、と恐れてしまうのだ。

そんな中、平松さんはきゅうりを「しゅーっと皮をむ」いて、「えいやと齧りつく」(p.14)と言い、その瞬間をこんなふうに表現している。

豪快に齧りつくきゅうりは二十五メートルのプールを猛スピードで端まで泳ぎきったような爽快な味がする。だいいち歯を当てたときの、あの音。こりり! ひとくち食いちぎったときの解放感は、勢いをつけてプールの台を蹴って水に飛び込んだ瞬間に似ている。

『ひさしぶりの海苔弁』p.13

確かにきゅうりに齧りついた瞬間は、そんな勢いと爽快感がある。読みながら、きゅうりを食べた瞬間を鮮明に思い出し、夏が恋しくなったのだった。

ほかにもれんこんやアスパラなど、さまざまな食材が独特な擬音語や比喩表現とともに紹介されており、字面を追うのが楽しかった。

意外と気になる、「かまぼこ板」のこと

ふだん何となく目にしている、食の道具についての視点も面白い。今まで考えたこともなかったなあと思ったのが、「かまぼこ板」の話。かまぼこ板は飾りの一種、作る過程でしれっとついたもの、という勝手なイメージがあったが、実はかまぼこにおいて重要な役割を果たしているという。平松さんはかまぼこが板にくっついている様子に関して、「必死でしがみついている様子には胸に迫るものがある」と語る。

かまぼこ板のないかまぼこは、たちまち悲惨な事態に陥ってしまう。あれは伊達にくっついているのではないのです。杉やモミがかまぼこ本体の水分を吸収し、外に逃がす役目を担っている。つまり、底面から伝わってくる水分や湿気をつねに吸収→発散させているからこそ、かまぼこは日持ちして生き長らえるというわけで、板あってこそのいのち。

『ひさしぶりの海苔弁』p.216~p.217

正直まったく知らなかったが、知ったとたんにかまぼこ板に異常なまでに関心がわいてくる。かまぼこ板にそんな事情が……と感心しながら読み進めていくと、このエッセイを読んだ人々からの反応があった話が綴られていた。

さまざまな反応が見受けられる中、ご友人の一人が「あんたのおかげで、おれ生まれて初めてかまぼこ板のことをかんがえた。人生で初めて自分でかまぼこも買ってみた。意外にうまいのな。これまで練りものに冷たすぎたと反省して、感謝を伝えたい」(p.219)とコメントしており、これには笑ってしまった。私もかまぼこ板について考えたことのない人間の一人だったので、同じく反省し、感謝したい次第である。

このほか、昨今日本でもすっかり浸透した「タジン鍋」についても、本来の役割や使い方について書かれていて興味深かった。何となく使っているものにも、作られた意味や背景がある、そんな当たり前のことに多く気づいたエッセイでもあった。

ついつい食べ続けてしまう、偏愛の味

食の偏愛は人それぞれ。これがないと生きていけない、これだけは死ぬまで食べ続けたいと思うものがある人も、多いのではないだろうか。本書にも平松さんの偏愛する食がいくつか紹介されていた。タイトルにある「海苔弁」もまた、その一つであった。久しぶりに海苔弁を食べたらすっかりハマってしまい、連日食べているというエピソード。中でもごはんに何枚海苔を重ねるべきか、という考察を読んでいると、なんだか海苔弁を作りたくなってくる。

えへん、今日は海苔弁だい! と思うと、弁慶の後ろ盾を得たような頼もしさがある。おかずのにぎやかな弁当がもたらすのは「楽しみ」だが、海苔弁が手渡すのは「安心感」。箸を差し入れ、ごはん・海苔・醤油味のかつおぶし、しっとり三位一体になったひとくち、ひとくちをだいじに口に運ぶ。じわじわ、満足と余韻がふくらむ。食べているうち、しだいに海苔の包容力に抱きとめられるかのようだ。

『ひさしぶりの海苔弁』p.107

高価でなくても、華やかでなくても、自分の心を掴んで離さない食と言うのは存在する。私にも何か、ついつい食べ続けてしまうものってあったかなと考えてみたら、思い当たった。「卵かけごはん」だ。卵と醤油をかけるだけのシンプルなものなのに、なぜか定期的に食べたくなる。ごま油をたらしてみたり、白だしを加えたり、かつおぶしやごま、納豆、キムチ、天かすなど、トッピングをつけて楽しむこともあるほど。まわりの友人や家族にも、偏愛している食があるかもしれない。ぜひ、聞いてみたい。

食は毎日触れるものだから、新鮮な視点が薄れやすい分野といえる。しかし、誰かの視点を取り入れてみると、新たな知識を得られるだけでなく、今まで自分が食べていたものの魅力を再発見できるように思う。『ひさしぶりの海苔弁』はまさに、食の新発見と再発見が詰まった一冊だった。



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